夜蟻雑記

俳人・赤野四羽の俳句関連雑記。

橋本直 句集 『符籙』

俳人・俳句研究者として活動されておられる橋本直さんの第一句集、『符籙』を拝読しました。

橋本さんは「豈」同人、現代俳句協会会員、「楓」俳句欄選者などを務めておられます。

前半、写生や生活に材をとったスタンダードな手法を用いた佳句から、後半にゆくにつれて視点が時間的、空間的な制約を超えて広がっていくところに妙味があるといえるでしょう。

以下、好みの作品をあげてみます。

 

貂の目を得て雪野より起き上がる

寒明の噛み砕かれて鳥の羽

余寒より女将干物を抜いて来る

いくつかの言語の咳の響きけり

これほどに冬の蝿ある市場の死

弾痕の穴の冷たき遺跡かな

泳ぎつつ夫婦挨拶して沖へ

 

この辺りまではシャープな写生句や生活詠が中心。しかし徐々に写生と概念、時空間の扱いが自在になり、シームレスな世界に突入していきます。

 

根を呑みて自己言及のなき木陰

南洋に虹じやんけんの一万年

魚釣りの子らもいつかは魚となり

液体の中や兎の目の時間

蜥蜴の記憶と会話する夜長

交るほど鯉ら異界に投げ出す身

燕飛ぶ石の記憶に入るまで

 

「根を呑みて」自己言及により円環をなす手法は俳句にもしばしば見られますが、ここではそれを否定することで逆に事物の存在感を彫刻します。メタのメタともいう方法ですが、俳句の中では一度しか使えないでしょうね。

「南洋に」このじゃんけんはやはり池田澄子の「じゃんけん」とみるべきでしょう。転生を繰り返した一万年を大洋の虹にみるスケールが、「蛍」の世界を拡張し、単なる内輪の目配せを超えた表現となっています。仮に先行句を考えなくとも、じゃんけんは食物連鎖の喩とも取れるため、作品として自立している点もよいですね。

タイトルの『符籙』というのは道教の秘儀が書かれた文書とのことですが、いろいろと深掘りのできる作品が充実している一冊だと感じます。